共に備える 未来へつなぐ

ー 2025.3.4 ー

阪神・淡路大震災から30年/共に備える 未来へつなぐ

2025年1月17日で、阪神・淡路大震災の発生から30年を迎えました。
体験を継承し、災害に備えようと、ワークショップや座談会を開催。その様子をコープこうべ職員向け広報誌で特集を組みました。

職員がインタビュー
震災の学びから「備え」へ

阪神・淡路大震災でさまざまな経験をした先輩職員・組合員に、
4人の職員がインタビューし、記事を書きました。

富久さんに聞きました
つながりの力が「備え」に

【組合員】富久 ちづ子(とみひさ ちづこ)さん

プロフィル

芦屋市在住。震災で自宅の被害は少なかったが地域は大変な状況。コープ委員仲間に誘われたのをきっかけに活動を開始し、現在も続ける。
【宅配運営部 宅配業務推進】的﨑 雄亮(まとざき たかあき)さん

震災当時、私は…

淡路島の津名町に住む中学生。自宅は大きく揺れたが無事。その後島内の高校に進学すると、周囲に親を亡くしたり家を失ったりした同級生もいた。

南芦屋浜の復興住宅でふれあい喫茶を開く、コープサークル「友愛訪問水曜グループ」代表の富久ちづ子さんに話を聞いた。
活動は震災後、「何かできることを」という思いで仮設住宅の戸別訪問から始まった。訪問先では「コープさん」と呼ばれ、受け入れてもらえた。その後は屋外に日よけを設けてのパラソル喫茶、復興住宅が出来るとふれあい喫茶に、カタチを変えながら約30年「居場所づくり」を続けている。「水曜日には何かある」と思ってもらえるよう、今もグループ名は変えていない。
喫茶の案内を絵手紙サークルに描いてもらったり、食材を別のグループと融通し合ったりと、いろいろな人や団体とつながって活動することを大切にしている。今では地域内に、 食事を提供する新たなグループもできた。「その人たちに『あなたたちががんばってくれてるから始めようと思った』と言われたのはうれしかったです」と富久さん。活動を通してできたつながり、コミュニティーが孤立を防ぎ、今後への「備え」になっている。

松浦さんに聞きました
コープこうべへの信頼が安心に

【店舗運営部 店舗運営支援 】松浦 れい子(まつうら れいこ)さん

プロフィル

1975年入所。震災当時は店舗の接遇指導を担当、神戸市東灘区在住。ボランティアセンターから異動の後は、現在まで一貫して接遇指導に携わる。
【コープデイズ神戸北町(取材時は店舗学校生) 】坂口 友香(さかぐち ともか)さん

震災当時、私は…

生まれていなかったが、神戸市在住だった両親から「ライフラインが止まると大変」「ガスの元栓は必ず閉める」など教わってきた。

「ボランティア元年」と呼ばれた阪神・淡路大震災から30年。震災直後から西宮コープボランティアセンターの立ち上げに携わった松浦れい子さんに話を聞いた。
阪神・淡路大震災では、全国から多くのボランティアが集まったが、統制する仕組みは整っていなかった。そこでコープこうべは、ボランティアセンターを設立。被災者のニーズを直接聞き、ボランティアを派遣した。松浦さんは、「地域に根差した『コープこうべ』だからこそ、被災者は安心して任せ、ボランティアも安心して活動できた」と言う。この関係は地域での信頼から成るもので、今後もつなげていかなければいけないと思う。「いつ何が起こるか分からない今、地域を知ることが防災になる」と松浦さん。震災当時は仕事一筋で、被災して初めて周りに誰が住んでいるのかさえ知らないことに気付き、それ以来あいさつするよう心掛けていると言う。日頃から地域の人とつながっておくことが、緊急時の助け合いにつながる。

宮本さんに聞きました
待っていてくれる組合員のために

【地域活動推進部 地域連携推進】宮本 吉樹(みやもと よしき)さん

プロフィル

1984年入所。震災当時は神戸市北区在住、コープデイズ芦屋で住関チーフを務めていた。現在は地域のつながりづくりの支援を担当。
【コープ稲美】兼田 祐子(かねだ ゆうこ)さん

震災当時、私は…

明石市在住。大きく揺れ、一時的だがライフラインが止まった。発災直後に父が言った「靴下と靴を履け」は、今も大切なことだと思う。

「もう30年になるので 、忘れていることも多いですが・・・」そう話すのは宮本吉樹さん。1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災について、当時の様子を伺った。
発生直後に宮本さんは自宅のある北鈴蘭台から勤務先のコープデイズ芦屋へと向かった。神戸の街へ近付くにつれ、家屋の倒壊や火災に戸惑う人々を目の当たりにし、愕然(がくぜん)としたと言う。店舗は築浅で被害は少なかったが、売り場は水浸しで商品が散乱し、すぐに再開できるめどは立てられなかった。
そんななか、大きな力が訪れる。沖縄や九州など他生協からの応援だ。「コープ◯◯」と書かれたトラックの列を見た時、どれほど勇気付けられたことか。宮本さんら職員が、泊まり込みで必死の作業を続け、めざしたのは一日でも早いお店の再開だ。何とかこぎ着けたオープンの日の全体朝礼で、店長は涙を流しながら職員に感謝を述べた。細かな記憶は薄れても、あの日の思いは忘れていない。

則藤さんに聞きました
備えない防災

【組合員】則藤 譲子(のりとう よしこ)さん

プロフィル

神戸市東灘区で被災。自身の経験や学んだことから、東北の被災地を応援するサークルと「備えない防災」を伝えるサークルで活動を続ける。
【協同購入センター宝塚】下野 美郁(しもの みく)さん

震災当時、私は…

生まれていなかった。育った神戸市西区は被害の少ない地域だったが、小・中学校では毎年1.17に震災教育が行われていた。

「いつ来るか分からないので普段から使えるものを」。そう教えてくださったのは、コープ深江で活動するコープサークル「みんなで防災」の代表を務める則藤譲子さん。 自身の被災した経験から震災について考え始め、防災士の資格も取得されました。
則藤さんが伝えるのは「備えない防災」。いつものくらしと震災が起きたときのくらしを“フェーズフリーにする”(境界を無くす)という考え方です。例えば“災害用の食品”を備蓄するのではなく “普段から使う食品”をローリングストックしておく。“災害時のレシピ”ではなく“普段から使える時短レシピ”として身に付けておく。「モノを買うだけではなく使う技術も備蓄しなければ」とのこと。
則藤さんが教えてくださったレシピやアイデアは、誰でも簡単にできて、非常時にあれば確実に役立つものばかり。震災を「知らない」から「知りたい」へ。そう思わせてくれるチカラがありました。

職員による座談会
震災の学びを
未来へつなぐ

4人それぞれが学んできたことを座談会で共有。
コープこうべに期待されていること、
これからの「備え」など、未来へつなげたい思いを話し合いました。

それぞれが聞いてきたことを教えてください

的﨑

私が話を聞いたのは、コープサークル「友愛訪問水曜グループ」で居場所づくり活動を続けている富久さんです。定期的に活動することで安否確認になるし、人と人とのつながりが気持ちを前向きにさせると感じました。記事には書き切れなかったんですけど、当時コープこうべのボランティアセンターができ、活動の支えになったと聞きました。

坂口

そのボランティアセンターを立ち上げた松浦さんに話を聞きました。逆に職員にとっては、コープ委員やコープサークルなどの組合員からの情報やパワーは大きく、支えられた。また「どういう支援が必要か」被災者に直接聞きに行く際、「コープこうべです」と言うと扉を開けてくださることが多かったそうです。「地域に根付いているのはすごいことだ」と感じたと話していました。

兼田

私は『まNavi』で話を聞いた宮本さんのお話をまとめました。災害時でなく、改装で一時的に店舗を閉めているときでも、組合員さんから「待っていたよ」という声があります。震災当時の「不安な中、お店の再開を待ってくれている組合員のために」という気持ちは、私も店舗の職員なのですごくよく分かりました。

下野

私が話を聞いたのは、コープサークル「みんなで防災」の則藤さんです。印象に残っているのは「備えない防災」という考え方です。特別な防災グッズを置いて備えるのではなく、普段使う商品を災害時にも使えるように、アイデアを身に付けておこうというもの。日頃から少し多めに買っておいて、使ったらまた買い足す「ローリングストック」を続けておられます。

職員向け学習プログラム

『BOSAI レシピブック』が『食の備えBOSAIブック』に改訂されました

災害時の食の問題を考える組合員活動をきっかけに2019 年に作成
『食の備えBOSAIブック』

下野

震災でひっくり返ったキッチンでは、レシピ通りに作ったり、正確に量ったりはできません。普段から家で作ることで災害時は目分量で作れると伺いました。防災用に限らず、「時短レシピ」として知ってもらうのも良いと思います。

兼田

そのレシピブック、ぜひ売り場に置きたいです。以前組合員さんに「備蓄できるパンがないか」と聞かれ、その時は無くて。「コープさんだったら置いていると思ったのに」と言われてすごく残念な気持ちになったんですね。ローリングストックコーナーも作りたい。

坂口

住居関連部門では、8 月に南海トラフ地震臨時情報が出た時に、非常用トイレが売り切れました。そういうものってギリギリに買う方が多いです。

下野

宅配でも非常用トイレをたくさんお届けしました。これだけ備えられていない人がたくさんいるのだなと。コープこうべはくらしを支える生協として、もっと「備えが必要ですよ」という発信をしていくことが大事なのではないでしょうか。

兼田

コープが組合員さんのくらしの見本?って言うと何かおこがましいようですけど。非常時に慌てないお買い物、暮らし方を提案できたらいいですよね。売り場を見て「気付く」ような。

下野

防災リュックに入れる物のリストも頂いたのですが、「則藤さんの」なんです。家族構成によって必要なものも違うので「自分の」防災リュックを作ることが大事だということでした。

兼田

リュックの中身を、普段から家族が知っている必要がありますよね。

坂口

避難所の確認や、ハザードマップを見ることも大事ですよね。住み慣れた所でも、引っ越す際も。

下野

宅配では毎週同じ組合員さんに会えるので、訪問時に「備えできていますか?」というお声掛けをしてみたいです。「防災は先読み」と伺いました。いざという時に慌てないようにしておくことが大事だと、多くの方に伝えたいです。

的﨑

コープこうべアプリで配信する「デジタル版地域担当ニュース」で呼び掛けたらどうでしょう。「防災は先読み」ってタイトル付けたら、関心を持ってもらえるかも。

皆さん自身は「備え」できていますか?

兼田

うちは「ローリングしにくいストック」しています。乾パンとか、普段は食べないものを、普段見ない場所に。

的﨑

水くらいです。臨時情報が出てから買いに走りました。

坂口

うちは長期保存のご飯を、10~15食ほど置いています。地震のときだけじゃなくて、家族みんながインフルエンザにかかって、外に出られなくなったときなどに食べられるものとして。賞味期限切れには気を付けないといけませんね。

下野

則藤さんはストック品の商品名や賞味期限を全部「見える化」しているんです。カップ麺とかレトルトのソースとか、「期限が近付いてきたな」というのをお昼ご飯にして、無くなったら補充しているそうです。

ローリングストック

「備え」には物以外もありますよね

的﨑

富久さんに話を聞くまでは「物の備え」のイメージがあったのですが、「人と人とのつながり」が備えになるんだなと学びました。孤立して情報を得る機会のない人に、コープこうべがつながれる場を増やしていけたらいいですね。宅配の訪問も一つの機会だと思います。

下野

マンションに住んでいると、どこに誰が何人で住んでいるのか全然知らなくて。松浦さんがあいさつを心掛けているということでしたが、私もちゃんとあいさつしないと、と思いました。

兼田

高齢者とか障がい者とか何か起こったときに動きづらい人たちをどう助けるかも課題だと思います。普段から出掛ける場所、交流があることが大事。
そんなことができるのがコープかなと思います。お店のサービスコーナーでも、いろいろと話しに来てくれる組合員さんが多いんですよ。「コープさんに行ったら何かある」「不安なときはコープさんに行く」、そんな場所でありたいですね。

コープだからできる「備え」の話がたくさん出ました。
職員だけでなく、組合員さんの経験、知恵を教われるのは「生協ならでは」。
物の備えだけでなく、「人と人とのつながりそのものが備えになる」ということも、助け合いの組織として、伝えていきたいですね。

阪神・淡路大震災から30年 
特設サイト「共に備える 未来へつなぐ」

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